Smiufjuqs
Oapke
その時、二人は、砂浜にひき上げられた漁船のかげで、何かいい争うような男と女の姿を見た。「兄ちゃん。 何ぞあるんか」 ムメは紺地に白柄の浴衣を着て赤い帯を締め、赤い鼻緒の下駄、そして、手には朝顔の絵の団扇を持っていた 。
「何ごととはお情ない。食べ料もくれず、手切れ金もくれないで……」長老ゆめにも知らぬと引き離そうとする 内、人立ちがして、[#地付き](噺雛形) 日蔭町で三両で新刀《あらみ》を買ったから、ためして見たいと、夜中じぶんに、橋の上にねている乞食を、 薦《こも》の上からズッパリと切り、鞘へおさめ、切り口をあらためようと近寄ると、
「おれゃ大丈夫だが、婆さんこそ気をつけてくれなきゃ困るぜ。うっかり落としでもしたら、それこそたいへん だからな」と、やっとこさで、二階へ運びあげたのである。 と思うのは甘えというものなのだ。 * 姦通の内済金は五両又は七両二分が相場。
「屁て、あの屁か」 大西愛治郎ら天理研究会の一派は、百八十名が起訴され、二百八十七名が起訴猶予となっ た。大西は第一審、控訴審とも懲役四年の判決が下ったが、大審院では精神鑑定を受け、心神喪失中に犯行をな したものと判定されて無罪となった。しかし、昭和十三年、『憂国の士に告ぐ』という印刷物をバラまいて再び 検挙された。これを第二次天理本道事件という。そして、やはり宗教弾圧を受けて壊滅状態にさせられた大本教 の出口|王仁三郎《わにさぶろう》らと釈放されたのは終戦後のことであった。 「それはあかん。そんなことしたら絶対あかんで」
「大したもんじゃない。ちょっと厚目に作ってあるだけだ」 まだ午前中のこととて通りの交通量は少なく、歩 道の人影も疎《まば》ら、街路樹のプラタナスだけが我がもの顔にその大きな葉をゆすっていた。 松毬大明神こそ誤報であったが、マッカーサー大明神なら誰も不思議に思わない世情だった。
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